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白山さんのここだけの話:「奥宮」と名付けたのは?
(平成30年9月)
明治5年11月には太政官指令により、白山嶺上及び山麓十八ケ村が足羽県から石川県に転属となったため、同6年5月、石川県参事桐山純孝は、白山比咩神社宮司狩谷竹鞆(かりやたけとも)に対し、嶺上3社を「本社」とし、室堂とともに管理するよう命じ、併せて白山麓十八ケ村の神社を、すべて白山比咩神社の末社としました。
しかし、狩谷宮司らは「本社」の呼称が、白山比咩神社をその末社と曲解させる可能性を生むことを恐れ、本社の2字の削除を求めました。
その結果、同7年8月、嶺上の本社の名称を「奥宮」と改めたのは、内務卿の大久保利通であります。
その後、同14年5月には、内務省によって嶺上の大己貴神社と別山神社が、摂社と改められました。