白山比咩神社の「豊年講寄稿「白山信仰こそ背中の教育 大人が変われば子供が変わる」」を掲載しています。

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豊年講寄稿

(平成28年11月)

白山信仰こそ背中の教育
大人が変われば子供が変わる

崇敬者総代豊年講世話人  竹内信孝

竹内信孝 明治26年生まれの父は、我が家の15代目として小間物商の道を選ぶことなく師範学校を卆業後小学校に奉職し、大正元年から30年間教師として美川、鶴来、松任、小松そして河内村の内尾(うつお)等の多くの小学校で教鞭をとり、その間に明治40年生まれの母との間に、5人の子宝に恵まれ、その一番末っ子として戦争真っ只中の昭和17年に私が旧美川町で生を受けたのであります。
父は私が生まれる前年の昭和16年に美術骨董に魅せられ教師を辞めて古美術商となった気ままな人でありました。また、病弱な父にかわり母は、町内会長や婦人会長を引き受け、しかも戦後は戦争未亡人、孤児、ライ病患者(ハンセン病)、ヒロポン患者等世間一般で敬遠された人々を自宅に入れては古着を与え、食事を提供する日々でありました。その間信仰心の篤さは想像を絶する霊能者でもあり、父母は神仏の礼拝は勿論、朝な夕なに白山の頂きに向かい手を合わせては口癖のように「良く聴けよ、此の地の安らかなる事も、日々健やかに暮らせるのもすべて白山さんの神様のおかげだよ」と訓(おしえ)られ、テレビが普及してからは天皇陛下様が写ると、さっと座り直して正座して手を合わせる姿にいつのまにか家族中が見習っていました。口では言わず体で覚えさせた明治の両親には頭がさがりました。

竹内家邸内社(自宅)

母の影響で21歳で國乃礎(くにのいしづえうんどう)運動に、32歳で石川県氏子青年会、そして64歳で」日本会議の石川県本部第3代会長として微力ながらお世話が出来たのもまさに親のおかげであります。無言の背中の教育こそ「教育勅語の十二徳」そのものの訓であります。
白山の自然の恵みと命の親神様、白山、手取川の命の水ともいえる伏流水は、日本海へと命をつなぐ白山比咩大神様のご神徳に生かされて生き、五穀豊穣の実りに感謝し、老若男女すべての大人達が子供達のお手本になりたいものであります。