社頭あれこれ(平成28年5月の出来事)
【5月6日】白山本宮例大祭斎行
風薫る新緑の5月6日午前10時より石川県神社庁庁長加藤治樹氏を献幣使としてお迎えし、氏子崇敬者総代を始め県内外から90余名のご参列のもと、厳粛且つ盛大に斎行されました。
古来、当社の大祭は4月・11月の午(うま)の日と定められ「二季祭礼」が行われており、祭礼の当日は、末社を加えて白山の惣神である五十四神を祀ったと「三宮古記」に記されています。
現在の例大祭は、その4月の祭礼を明治の改暦に合わせて5月6日と定めたものです。
祭典では、ご神前に古例を受け継いだ特殊神饌に「梅枝糕(うめがえもち)・口型(くちがた)餅・舌型(したがた)餅・寄(よせ)餅」がお供えされました。
「梅枝糕」は、菅原道真公が献供されたと伝えられています。
当日は、宮司の祝詞奏上に続き、神社本庁よりの幣帛を奉献、献幣使の祭文奏上、その後舞女による神楽「浦安の舞」が奉奏されました。 大神様の御神徳に感謝申し上げ、皇室の弥栄と国の隆昌、氏子崇敬者の安寧を祈念致しました。
【5月15日】「衣紋講習会」開催 加賀友禅大使ら装束の着付けを学ぶ
5月15日、加賀友禅大使25名が参拝の後、当社において「衣紋(えもん)講習会」を開催し、神職が祭典・ご祈祷等で着用する装束の着付けを学びました。
当社の職員が講師となり、神社で行われる祭典規模に応じて、大祭・中祭・小祭に分けられ、神職が正服・斎服・狩衣という装束を着て、祭典と着装について説明致しました。
参加者の中には、普段着慣れている着物とは違う神職の装束に関心を持たれた方々が多くいらっしゃいました。
【5月21日】さわやかな五月晴れ 御田植祭斎行
5月21日、地元の小中学生16名が早乙女として紅白の装束に身をつつみ、田長大宮啓文氏の掛け声により、イセヒカリの苗を高く掲げ、太鼓の合図に合わせて、真心を込めて丁寧に植えていきました。
水田管理は、大宮田長に委託し、秋の抜穂祭で収穫されたイセヒカリは、伊勢神宮へも奉献し、当社でも新嘗祭にお供えします。
「イセヒカリ」について
御田植祭で植えられた苗は「イセヒカリ」という品種です。平成元年に三重県を2度の台風が襲い、伊勢の神宮の御田で育てられていたコシヒカリの稲穂は全て倒れてしまいました。そんな中、2株だけ台風に耐え直立を保った稲がありました。それがコシヒカリとは異なる新しい品種であり、神宮に因んで「イセヒカリ」と名付けられ、以後神宮における神饌米として用いられるようになりました。
当社では平成13年に神宮よりイセヒカリの籾種を拝受し、育苗後、御田植祭の苗として使用しております。
【5月24日】加賀一ノ宮敬神婦人会5月総会 / 第62回 崇敬者のつどい 合同記念講演会開催
5月24日、午前10時半より加賀一ノ宮敬神婦人会5月総会奉告祭を斎行、午後1時より合同記念講演会、午後3時から崇敬者のつどい奉告祭を斎行致しました。
記念講演では、京都造形芸術大学教授・元NHK理事待遇アナウンサー松平定知先生による「異聞 真田幸村」と題しての講話を頂きました。
今話題の大河ドラマ「真田丸」関連の内容でもあり、集まった約240名の参加者は、松平さんの往年の語り口に引き込まれるように聞き入っていました。
講演会の中で先生は、「幸村の故郷、上田市真田町にある「真田郷」は、有力大名に囲まれながら、真田家を守るため父昌幸、兄信幸と共に智恵を絞り合い守ってきたこと、また真田郷は、狭隘な山間部にあり、四阿山(あずまやま)の頂上には山岳信仰の一種である白山信仰の修験者の聖地となる奥社があり、もともと呪術に長けた家の血を継ぐ真田家は修験者とよしみを通じて、天下や周辺の情報を入手していた」と言う興味深いお話もして頂きました。
幸村は、天下をとったわけでも、天下人の名参謀だったわけでもなく、常に存亡の危機に晒された小大名の息子にすぎませんが、大阪の陣において豊臣方の武将として名を馳せ、戦乱の世を力強く生き抜いた幸村の魅力ある人生に触れながら語られました。