昔、加賀国が一向一揆で乱れた頃、越前国に伏魔道士普光院という大変乱暴な山伏がいました。親不孝だったから「ふこういん」と呼ばれたのだという者もいますが、とにかく、この憎まれ者の普光院が、弟子をつれて「白山」に登り、頂上の火口湖である「翠ヶ池」のほとりにやってきました。
普光院が青く透きとおる水中に手を入れてかき回してみると、何とも言えない涼しさが身にしみてきました。ところが、しばらくして手を水から出すと、両腕が火傷をしたように腫れただれてずきずきと痛むのです。慌ててまた水につけますと、しばらくは涼しいのですが、だんだん痛みが上の方へあがってきます。そこを水につけると和らぐので、だんだんと水の中にもぐって、とうとう首まで水につかってしまいました。
どうにもならなくなった普光院は、岸に這い上がろうとしましたが体が重く動きません。弟子に引っ張ってもらいましたが、下から何かに強く引っ張られているようで、這い上がることができません。
そうこうしているうちに、とうとう普光院は池の中に沈んで死んでしまいました。弟子たちは、あまりの恐ろしさにがたがたふるえて見ているだけだったということです。
このことがあってから、後世にはこの翠ヶ池を「普光院地獄」と呼ぶようになったそうです。