白山比咩神社のコラム「神道講話445号」を掲載しています。

神道講話

神道講話445号「偽(いつわ)り」

自然の神様に祈りを捧げる田長(抜穂祭)


◆ はじめに

現代社会は嘘や騙し、詐欺など人を欺くことが横行し、世界の政治家はSNSを駆使して、選挙や自己利益、さらには自分の満足の為に多くの情報を発信し、末には戦争まで始める始末。それを我々はその情報が正しいのか、メディアは正しく報じているのか、またはでたらめな嘘や偽り、フェイクニュースなのかを判断しなくてはならず、その情報によって政治や経済を混乱させ、今まで積み上げてきたものが通用しなくなっています。
特に酷いのは宗教戦争です。
そして大切な人の心まで荒んでゆき、私たちは何を信じて生きていけばいいのかと考えざるを得ません。
また医薬品や保険のCМもよく目にしますが、効き目には個人差がありますとか、副作用の事は一切ふれず、保険のお申込みは簡単見積とか、タレントや俳優・芸人の上手な演技や言葉で、俳優さん・劇団員さんはその物自体を知らずとも、単なる演技を演じているだけで、台本通り上手にその物(人)になりきっている姿を見て我々はついつい騙されることもあります。

◆ 雨・風 時に従いて

日本の農業は、畑のものは大方種(おおかたタネ)をまけば、約3ケ月程で収穫となります。
農家の方々は、播種から収穫の日まで天災や雨風の被害にさらされないように管理をしていきます。先々代の太田宮司が「雨・風 時に従いて」ということをおっしゃっておりました。正(まさ)しく加賀一帯の豊年講員の人たちも自然の摂理にしたがって霊峰白山に向かって手を合わせ稲作を続けています。
稲作だけでなく畑作・果樹栽培も同様で、北陸や東北地方は、寒冷地の為、一毛作といって同じ耕地に作物は1年に1回だけしか採れないわけであり、畑作は春と秋なので、それこそ「雨・風 時に従いて」というのはその通りであります。
しかし、大事なことは過去に雨風の被害を受けている事象を反省せず、防ぐ対策も施さないから何年か先には同じような川の氾濫や洪水、風の禍が起きるのは当然のことであります。
昔は、河口付近にしっかりとした堤防を築き、さらに川の土手には桜の木を植えて、護岸を守り固定したものを築いていました。
また、戦国時代でも水を征するものは国を征するというように、その時にどういうように堰を作った方が良いのか、浚渫(しゅんせつ)はどうかなど考えながら進めていましたが、現在はどうでしょうか。
どうしたらいいのか分析もせず、ただAI技術に便りすぎではいないかと思います。
今やこのAI技術も簡単に操作され、戦争などにも、AI技術が軍事利用され、また風水害や颱風(たいふう)といったこともAIが予測していますが、もし不具合が生じた時、困るのは庶民であります。
そのような中で辛うじて採れた食べ物も、すべて侵略者に接収され、さらには自分の土地まで踏みにじられ、追われて難民になっている国(ウクライナや中東など)もあります。 今この安穏としている日本。食料自給率などをもう一度考え直さなければいけない時期とも考えます。

◆ 神様と自然

それでは何を信じればいいのか。
それは昔から神話で示されているように「神と自然」であります。
水は上から下にしか流れないし、木だって針葉樹は土壌を弱め、逆に広葉樹は春に芽を出して初夏には花をつけ、秋の収穫となります。また、落葉は水を蓄え、一滴の水が大地を潤し、伏流水となって我々動植物を生かします。
そしてそれに対する秋の収穫をお祝いするお祭りが行われることから、自然をもっと大切にしなければいけないことを教えてくれています。このことが今の日本はさることながら、世界に望まれているのではないでしょうか。
世界四大文明と言われる場所も、文明の発展には自然の資源はとても重要でありました。特に川の存在は文明の発展に深く関係し、四大文明はいずれも大きな川の近くにあったにもかかわらず、現在はことごとく緑が失われ、人々はそこを追われ、一部は遊牧民となって彷徨っているといえます。

白山の雪渓

◆ むすび

西洋の物語の蟻とキリギリスに語られているように、キリギリスは冬支度もせず、アリの忠告も聞かず遊びほうけ、結局冬を越すことが出来ず、一方蟻は家族たちと住む巣を守っていくために働き、冬にむけて食料を蓄え、冬を越して春を迎えるといったように、自然とどう向き合って生きていくのかを考えなくてはなりません。
新米や秋の旬の物、梨や柿、りんごなど、これらは多くの農家の人たちの努力の御蔭で稔りの秋を迎えることができました。
霜月11月23日には、新穀に感謝する新嘗祭や農業祭などが全国のお社で斎行され、神様に感謝の誠を捧げ、神様が食された後、我々が「直会(なおらい)」として頂戴することができるわけであります。
間もなく新しい年を迎えるにあたり、今おかれている食料や経済状況は苦難な道のりではありますが、尚更神様の御心に感謝をし、より一層のご加護を戴いて、後先(あとさき)を考えて過ごしていかなければならないと思います。
来たらむ年も大神様に見守られ、食べ物に苦労することなく何が正しいのか、何が偽りなのかを見極め「真の道」「神の道」に違う事なく、心豊かに暮らしましょう。
神様は、そして自然は、時に厳しく時に恵みを与えてくれ、決して嘘はありません。