
神道講話443号「天禄 あたわったもの」
◆ はじめに
人が生まれてから死ぬまでにどれだけの命ある食べ物を天の恵みとして与えられ、私たちは生かされていることを忘れてはなりません。
天から頂いた一粒から何万倍もの収穫を得て、僅かなものでも大切にすることで、多くの利益を生み出します。
人にとって生きるために「食」は必要不可欠なものでありますが、古くから日本人の食の中心であった「米」が、昨今では物価高の影響により、満足に供給されない事態になっています。
食物を作るには大地が必要であり、その大地は神道では神様が生んで下さったものと考えます。この大地の恵み・自然の恵みが無ければ人は生きていけません。
◆ 畳半畳
人は生を受けてから「生・老・病・死」、神様から等しくあたわったものにより生きています。生後は「乳」、「ミルク」を飲みますが、そこから既に神様からいただいているのであります。
どんな境遇であれ、人は起きて半畳、寝て一畳のスペースがあれば生きていけます。 身分の違いはあれど、必要以上のものを求めることはないようにしたいものであります。
「阿 あ」「吽 ん」とは、人が生まれた時、「オギャー」と息(生き)をいただき、逝去の時は「ん!!」といって息を飲み込みます。
その「あ」と「ん」の間が神様からもらった命であり「生」のいとなみであります。
狛犬にしても、仁王門の仁王様にしても、人の一生を現しています。
◆ いのちを継ぐもの
米を始め野菜などの食糧、魚や肉などは「命の連鎖」であります。植物は光合成をして、花や実をつけます。そしてそれらを食べるのが昆虫や動物、さらにそれらを食べるのが哺乳類・人間であります。
そして死んだ生物は微生物によって分解され大地の栄養分となり、植物の生育の支えとなります。食べ物をいただくことは、命をいただくことであります。食事の前には「いただきます」というように、いただいた命に感謝を捧げ、命を継いで生きていくのであります。
◆ 自然もあたわったもの
命ある全ての生き物には、限りある命と生かされる命があります。人の一生も神様から頂いた限りある命の中で生かされます。一生のうちに神様からいただけるものが決まっているとしたらどうでしょう。長く生きる人は、それだけ神様から与えられているということになります。
そして、太陽(日の光)・雨・風・空気など全てのものは、神様からあたわったものであり、人の命に繋がってくるものであります。更に言えば、仕事も同様であり、与えられた仕事を自分で全うできるか、納得ができる仕事か、それは世の為人の為にできているのか、考えて生きていかなければなりません。
◆ むすび
人は生まれるときに鎮守様から命をもらい、先ず息を吸い、産声を発し、亡くなる時は、最後に息を引きとるのであります。
氏神様、鎮守様からいただいた命を大切に、世の為に力を尽くし、修理固成、理性のある世の中を皆で造りましょう。