神道講話430号「やって 言って 良い事 悪い事」
◆ はじめに
年度も改まり早一ケ月が過ぎました。
学校でも職場でも五月病が出る頃を迎え、人生の進む方向性を考え直す時期でもあります。
進学でも就職でも目指すは試験の合格ではありません。自分が何をしたいのか、何になりたいのか、その為には何を勉強し何処に行けばその願いが叶うのか、その目標を達成する一つのハードルが入試であったり、就職試験であったりするのであります。
ハードルは何個も何回もおとずれますが、その先にある目標をしっかりと定めて日々を勤めたいものです。
◆ 躾(しつけ)
WBCの大谷翔平選手をはじめて各日本チームの人々、そして応援のマナーについては、世界の各局が絶賛の報道を流してくれました。
まさに日本の習慣であり、道徳であり、躾であります。
野球の選手たちは失投すればお辞儀をし、丁寧な人は脱帽をします。観客席の応援団は試合が終わったならば、自分の座席の周囲のゴミを掃除して帰ります。
では、それらは誰に教わったのでしょうか。それは親であったり、祖父母であったり、身近な大人が大切な子供達に教えるのであります。
相撲に至っては、その都度土俵を掃き均し、お塩を撒いて祓い清め、間違っても神聖な土俵に唾を吐くような事は絶対にありません。
○ やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ
○ 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
○ やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
◆ 罪とは
神社では、毎朝大祓詞を奏上しますが、その中には人間が犯す種々の罪を天(あま)つ罪、国つ罪として示されています。
「過ち」とは無意識にする間違いで、「犯す」は悪い事を知りつつ行うことであります。それは神様の意に叶っているか、逸脱してはいないかを考える指針になるものであります。
特に生成化育を害する罪を「天つ罪」として、【畔放(あはなち)・溝埋(みぞうみ)・樋放(ひはなち)・頻蒔(しきまき)・串刺(くしさし)・生剥(いけはぎ)・逆剥(さかはぎ)・屎戸(くそへ)等】をあげています。
それは稲田の耕作を困らせたり、耕作を妨害したり、耕作人を怪我させる等、人の生きて行く命の根である稲(イ・ネ)を大切にしなければならないという事であり、また生殺与奪といって神聖な御祭の御殿を汚したり、生き物を殺したりしてはいけないという教えであります。
次に人間として、してはいけない事を「国つ罪」として【生膚断(いきはだたち)・死膚断(しにはだたち)・白人(しらひと)・胡久美(こくみ)・己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・昆虫の災・高津神の災・高津鳥の災・畜朴(けものたふ)し、蠱物(まじもの)為る罪】を示して他人に傷を負わせたり、人間の乱倫が元となって世が乱れ、あるいは人に害ある行為を一括して国つ罪としております。
そして、その罪を自覚している時は、当然その罪の償いをするべきでありますが、知らず知らずのうちに犯した罪は、誠心誠意を尽くし、祓い、清めなければなりません。
これが水無月の大祓と年越の大祓であります。
(孝行)子は親に孝養を尽くす
(友愛)兄弟姉妹は仲良く
(夫婦の和)夫婦はいつも睦まじく
(朋友の信)友達はお互いを信じあって付き合う
(謙遜)自分の言動を謹む
(博愛) 広くすべての人に愛の手を差し伸べる
(修学習業)勉学に励み職業を身につける
(智能啓発)知徳を養い才能を伸ばす
(徳器成就)人格の向上に努める
(公益世務)広く世の中の人々や社会の為になる仕事を励む
(遵法) 法律や規則を守り、社会の秩序に従う
(義勇) 正しい勇気をもって、国の為に真心を尽くす
◆ むすび
戦前は、読み書き、そろばんといって、識字力と算学を中心に教育がなされてきましたが、知識の詰め込みや試験の正否だけの教育に傾いていて、人の生きる道、人を思いやる心が欠けた教育になっているように思えてなりません。
世界のどのニュースも「本当の事」なのか「嘘」なのか、フェイクニュースがまかり通り、だます方が悪いのか、だまされるのが悪いのか、乱れた報道がちまたにあふれ、どれを信じて良いのか、疑って良いやら、訳のわからない世の中ではありますが、ここで原点に立ち戻り、明治天皇様が示された十二徳を源に、人の道、生きる道、自然の中で生かされて生きる道を考えてみてはいかがでしょうか。