白山比咩神社のコラム「神道講話421号」を掲載しています。

神道講話

神道講話421号「以和為貴」

◆ はじめに

本年は聖徳太子が亡くなられてから1400年にあたります。「和をもって尊しとなす」は、聖徳太子の十七条の憲法の第一条に記されています。
一般には「仲良くするのは尊いことだ」という意味だとされていますが、本来は「和をなによりも大切なものとしなさい」という意味で「話し合いをすることが大切」あるいは「議論することが大切」であるといった意味であります。原文は漢文で記されており、四字熟語で、「以和為貴」とあり、「無忤為宗」と続き、「争いはするな」であり、十七条憲法の十七条目の冒頭には「大事なことは一人で決めず、みんなで議論して決めなさい」とあります。
この言葉は孔子の論語からの引用であるとも言われておりますし、明治天皇の五箇条の御誓文の「広く会議を興し万機公論に決すべし」にも通じるものがあります。

◆ 国のあり方と律令制

太子はその昔、日本の国のゆくすえを案じ、この国のあり方と律令制について考えました。そして天智天皇時代の近江令、天武天皇時代の浄御原(きよみはら)律令、その後これを修正した文武天皇の大宝元年(701)の大宝律令があり、また元正天皇の養老2年(718)に若干の修正をした養老律令があります。
奈良・平安時代の法制によって政治がおこなわれ、秩序と道徳が護られ、いわゆる「この国のかたち」あり方が築かれたのであります。
戦後60年を経た平成16年に制作された「歸国」(倉本聰著)のドラマのように、靖國神社に英霊として祀られた御魂が現代を見返した時に『こんな日本にするために我々は尊い命を捧げたのか』の一節が忘れられません。
また京都の一燈園は、昭和29年6月、国会で起きた与野党の乱闘事件を契機に、代議士を選んだ国民の側の責任をお詫びする証として、毎月皇居と靖国神社のトイレ掃除を奉仕していると聞きました。

太郎坊・阿賀神社夫婦岩(男磐・女磐)太子が霊威を感じ太郎坊山を篤く崇拝したと伝わる。 [提供 太郎坊宮]

当社では戦中、大前にて武運長久を祈り、出征していった御英霊に対し、少しでも御霊安かれと本年4月より神職を石川護國神社に派遣し、奉仕させて頂いております。
鎮護国家とは、異変のないように国家を鎮め、守護することであります。
平安時代初期の空海(真言宗の開祖)は、高野山を開いた後、弘仁4年(823)朝廷より鎮護国家の道場として東寺を賜っているし、石清水八幡宮は貞観元年筑紫豊前国より京都の鎮護国家のために八幡大神の神霊を勧請しました。

昭和12年 出征奉告祭(白山比咩神社境内)

◆ 現代が抱える問題

今、私たちがおかれている喫緊の問題は、地球環境問題や温暖化の問題、根強い人種や民族間の偏見、難民問題や各国家が抱える不調和、核開発やエネルギー問題、食糧問題、それに相対して生命の根本の意識を共有し、人類が目指すべき新たな時代の潮流を創り出すことが、この国のかたちを考える上で必要なことと思います。
世界四大文明」と言われるメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河(中国)文明は「四大河文明」とも言われ、川を中心として栄えた文明であったが、上流の緑を破壊し、砂漠化したために文明が滅びたと言われています。

◆ むすび

私たちは今何かを忘れているように思います。
権利と義務・自由と平等のはきちがえ、平等と公平・公と私の別」であります。
例えば、消防士が、警察官が、看護士が、「個」を大事にし「公」をおろそかにしたらどうなるでしょう。
医療従事者や防災・救急に関わる人達は家族の事を気に掛けながらも公のために一所懸命尽くしているのです。
国の為、世界の人の為、何をなすべきか。自分を律し、国そして人々の幸せのために、国を修めるのが修理固成です。
自己中心の民主主義のように個を大切にしすぎる教育は、国を滅ぼします。
昔も今も陽は昇り、陽は沈み、やがて夜が明け一日が始ります。その一日は昨日と同じではなく、明日と同じでもない。全ての動植物が等しく与えられている恵みであります。自然の生業(なりわい)のなかに神があり、生かされて生きています。その自然を我々は「カミ」といい崇めてきました。
今一度、改めて自然を見つめ直し、五感をもって心を養い調和のとれた社会を築きましょう。

蓬も麻中に生ずれば 扶けずして直し   −荀子−

(10月1日の今月のことば)

人は周囲によって育てられます。歴史・伝統と共に帝王学・国学・皇学など、人の上にたつ人間をしっかりと育成しこの国のあり方を考えたいと思います。