神道講話395号「「どっこいしょ」は六根清浄(白山開山1300年によせて)」
はじめに
霊峰白山は奈良時代の養老元年西暦717年に泰澄が初めて登拝したという伝説から数えて、本年は開山1300年を迎えました。
霊亀から養老と元号も変わり、その養老年間は、政治も不安定な時期でした。
奈良時代の高僧行基は、僧尼令違反として720年に活動を禁止されましたが、天下国家安寧を祈願し、後に東大寺大仏の建立に力を尽くし、大僧正となっております。
いづれにしても、政治と宗教の結びつきが深かった時代でありますので、誰かしら意図をもった人物が、白山に新しい宗教観を根付かせていったことは疑う余地がないと思います。
さて、今からおよそ1300年前は、様々な事柄がありました。例えば
710年 | 平城京(奈良)遷都 |
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712年 | 古事記編纂 出羽立国 |
713年 | 風土記編纂 丹後・美作・大隅立国 |
717年 | 白山開山 阿倍仲麻呂遣唐使 那谷寺開創 |
718年 | 能登・安房・石城立国 養老律令成る 小松粟津温泉開湯 大分六郷満山開山 西国三十三ヶ寺草創 |
720年 | 日本書記編纂 |
などがあげられます。
日本の山岳崇拝
山岳崇拝とは、往古より山そのものを崇拝の対象とし、山に座す神霊に対して、祭儀を行う信仰であり、名称も水分(みくまり)山・御室(おむろ)山・神奈備(かんなび)山など山の恩恵を得て生活を営み、農事に勤しんできた人々の崇敬の表れなのであります。
そして、日本の山岳崇拝に仏教、特に宗教的行法と結びついたのが修験道と呼ばれるものでありますので、いわば仏教の一派と考えられています。
外形は仏教的な様相を呈していますが、その行法には精進・潔斎(けっさい)・参籠(さんろう)・奉幣(ほうへい)など神道的儀礼もみられ、民族的信仰をその中核に残しています。
修験道の成立は平安時代といわれていますが、最初から一定の教義や行法があったわけではなく、長い年月を経て自然に成立したのであります。
そしてこの道に入って山野で修行する僧を指して修験者といい、また別に山伏・山臥などとも称しました。
修験道の成立後、天武天皇の頃にその開祖として役行者(えんのぎょうじゃ)すなわち役小角を仰ぐようになりましたが、それより以前の奈良時代に白山の泰澄や日光の勝道などの伝承のようにわが国固有の山岳信仰と仏教との結合が進められ、霊山が拓かれ、山に登拝するようになり平安時代に密教の興隆と共に修験道もさかんになったのであります。
全国の山岳に「釈迦岳」とか「大日岳」「薬師岳」など仏尊の御名がつけられ、さまざまな芸能(歌舞伎など)のなかにしばしば山伏が登場するところからも修験道が全国的に普及し、人々の生活のなかに溶け込み定着していたかがうかがえます。
六根清浄
六根清浄とは、六根つまり人間の知覚である眼・耳・鼻・舌・身・意(心)のことで視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感に心を加え、穢れにふれた時に神徳を以て清浄に保って救いを求めようとする祈願詞であります。
単純にいえば、見たり聞いたり、嗅いだり、味わったり、喋ったりするうえで生じる得体の知れない欲望を清らかに浄化し、あるいは捨て去ってしまおうと願って、山に登拝するときに「懺悔 懺悔 六根清浄 白山妙理大権現」と唱えたのであります。
六根は仏教語では、六境(色・声・香・味・触・法)と合わせて十二境といい、更に眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識を加えて十八界と称しています。
山野を歩き続け、短い休憩を取る段になって腰掛ける時など、力を入れるときとか重い荷物を持つときに勢いをつけるために知らず知らずのうちに「どっこいしょ」と発しながら行動に移しますが、この「どっこいしょ」は一説には「何処へ」という言葉が元だと言われていますが、山岳仏教の行者が唱える「六根清浄」が語源となっているという説もあるそうです。
むすび
神様は、目に見えないから存在しないのではありません。
大切なのは、見えないものを感じる感性です。
形あるものは崩れていきますが、心は受け継ぐことができます。
私たち日本人は、こうした先人の心や智恵を伝え、繰り返し重ねることで永遠を求めてきました。
常に昔と変わらない普遍的なものを感じられるのは、自然のありがたさを体で、心で受け留め、「どっこいしょ」と自らを浄化するための掛け声と共に、勇気・元気・活気を以て一日一日を大切にお過ごしください。