神道講話355号「神意にかなう」
はじめに
日本を代表する文芸評論家保田與重郎先生は前文の通り日本人の原点は「米作り」であると説かれ、日本という国がいかに神様の恩恵を受けているかということは、米をつくり、できたものを神様と一緒に戴く、神嘗祭・新嘗祭そして村々里々で行われる秋祭に神人共食する「祭りの生活」が大切だと言っています。
四季のめぐり、四季があることのありがたさは、日本人としての幸せであり、米作りを通して自然への畏怖や畏敬が見えてくると思います。
戴くということ
料理を「食べる」、飲み物を「飲む」ことを「戴(いただ)く」というのは生命ある自然の恵みや食べ物を生産し、調理してくださった人たちへの感謝の気持ちを込めた謙譲語であります。
食事を始めるときの「いただきます」はその感謝の気持ちを込めた言葉なのです。
「給食のとき、子供に“いただきます”を言わせるのはおかしい。給食代を払っているのは自分たちだ」と学校に文句をつける親がいるそうですが、(今では給食代も払わない親もいるとか)こういうのは「戴く」の意味をまったく理解しない親たちと言えます。
料理が出されたら目で楽しみ・舌で楽しんで五感をフルに使って味わいたいものです。とは言うものの、お米のご飯にみそ汁とつけものがあれば充分で、(少し寂しい気もしますが)このような食事を有難く感じていれば人間の欲望も変わり闘争心もおきてこなくなるのではないでしょうか。
狩猟は獲物の取り合いで競争の上に成立し、肉食に偏り過ぎた生活は、闘争的な欲望を生み、人と人が争い、血なまぐさくなり、争いの為に理屈っぽくなります。
一方農耕生活は、人間も自然という循環の一部になる訳で、育てて食べて排泄し、また自然に戻していく。この営みに理屈は不要であります。循環と共生によって争わず、喜びと感謝のうちに生活していける唯一のあり方が農耕ではないでしょうか。
これからの農業
農業の要素は、水・土・温度・光であり、日本ほど農業に向いた国はないと思いますが、残念ながら日本国の自給率は40%と聞きます。(先に述べた様に昭和30年代前半の食生活をすれば自給率は90%の計算が成り立ちます)
穀物の市場というのは、少し不作であれば、どーんと騰がり少し豊作であれば、どんと下がる特性がありますが、それとは別に心配なのは、基幹的農業従事者の6割が今65歳以上だということです。
10年前は55歳以上、20年前は45歳でした。そして今から10年経つと日本の農業を担っている人の6割は78歳以上、20年経つと85歳以上となります。農業は知恵と経験の産業ですので、頑張れば儲かるんだという体制づくりを築き、若い世代が喜んで農業に従事できる社会をつくりたいものです。
おわりに
目に見えぬ空気が地球を隙間なく覆って、生物を守るその空気が流れて、そよ風が吹き、時には台風となって地球上を大祓いする。
そして春夏秋冬の美しい大自然は、神の心の表現の大絵巻であります。
大自然とは、人知を超えた大きな力であり、その力によってこの世は動き、人々は生かされているのであります。
万物は全て神様の創造であり、一つとして同じものはなく、また使命があります。 植物は大地に根を下ろし、食物として生長し、動物はそれを食して大地の上で生きる。そして微生物が老廃物を食べ、腐らして大地に還元し、植物の栄養となります。 人の使命とは、生産・消費・分解の循環による動・植・微生物との共存共栄、神人和楽の心の創造ではないでしょうか。