神道講話352号「恕 ― おもいやる心」
「国民祭典」での天皇陛下のお言葉
即位20年にあたり、ここに集まられた皆さんの祝意に深く感謝します。即位以来、20年の月日がたったことに深い感慨を覚えます。
この間には、日本で、また世界で、さまざまなことが起こりました。日本は高齢化の進展と厳しい経済状況の中にあり、皆さんもさまざまな心配や苦労もあることと察しています。
日本人が戦後の荒廃から非常に努力をして、今日を築いてきたことに思いを致し、今後、皆が協力して力を尽くし、良い社会を築いていくことを願っています。
きのうの激しい雨に、きょうの天候を心配していましたが、幸いに天気になり、安堵しました。しかし、少し冷え込み、皆さんには寒くはなかったでしょうか。本当に楽しいひとときでした。どうもありがとう。
はじめに
昨年11月13日に天皇陛下御即位20年をお祝いする国民祭典が皇居前広場に於いて開催された時のお言葉を掲げさせて戴きました。又、本年2月23日皇太子殿下は50歳の誕生日に、論語の「忠恕」と「天命を知る」という教えを引用され、「他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のためにできることをやっていきたい」と抱負を語られました。
皇太子様はこの1年を振り返えられて、自然災害の被災者に心を寄せられ、又、経済情勢の厳しさにもふれられ、「忠恕」のうち、他人を思いやる心を持つことを表す「恕」が「これからの世の中でますます大切になってくる」と申されました。
「恕」とは
論語の中で、孔子の弟子の子貢(しこう)があるとき、「一生において守ってゆくべきものを一文字で表せるでしょうか」と孔子に質問をしました。孔子は答えて「其れ『恕』か」と答えたのでした。そして、続けて「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」と申されました。
「己」とは自分のこと、「人」とは他人のことであります。「自分がいやだと思うようなことは、自分から他人にしてはならない」という意味であります。他人に対するときは、もし自分がその人の立場であったらということを意識し、他人を自分に置き換えてみた上で行動した方が良いという相手を思いやる気持ちが「恕」であります。
今の日本
世界を見渡すと、相手の気持ちを考えて行動する国や人は少ないようにおもいます。そのことは外国に旅行するとすぐ分かりますが、最近では、日本もそうなって来ているのではないでしょうか。
「外つ国々の長きをとりて、我が短きをおぎなう」と申しますが、今や外つ国々の短きを真似ているように思われてなりません。利己主義がぶつかり合うと、人々は争い、世の中が大混乱となります。
その利己主義を抑える方法を心ある人たちは、宗教や道徳や法律を考えました。
おわりに
「恕」は道徳であります。道徳には強制力はありません。ただ良心に働きかけるのです。その良心を絶えず呼び起こすのは宗教です。
昔は、日本や朝鮮半島、中国、台湾の人々の道徳の中に「恕」は当たり前のこととして生きていました。
その中で、相手を思いやるという感覚は現在の世界では、日本人が一番だと思います。
人を責めるのを止め、自分の心をみつめて許す事の意味を考え、思いやりの心をもって、この美しい地球を戦争の無い平和な住み良い所として皆で守って行きたいものです。