白山社めぐり(177)「奥位社 (長野県)」をご紹介いたします。

白山信仰と白山比咩神社

奥位社 (長野県)

鎮座地長野県飯田市三日市場1057番地
御祭神伊邪那岐命・伊邪那美命
旧社格村社248u
氏子数217世帯
宮 司増田 直文

由 緒

奥位社の由来書として残されている文献によれば、元正天皇(44代)の御代養老元年(717)9月19日、下ノ城の城主である太田修理太夫正高公が、加賀の国白山より勧請、当所へ鎮守に奉斎されたと記載されているが、伝承であり事実とは限らないとも追記されています。
奥位大権現裏板写が1834年に由来書として策定されました。以降長年にわたり氏子総代で引き継がれ、奥位社の由来書として存在しています。この一端をご紹介します。
1730年享保15年秋に庄屋が中心となり、御宮建立を舞台二間と三間に建直したとあります。この頃は享保の大飢饉が発生し、この危機を回避するための施策と考えられています。
1750年京都吉田殿に請い正一位を受け、明治5年に村社となります。その後鳥居建立、社殿拡張、石灯籠設置、御嶽山神社や金毘羅大権現を奉斎し、五家の氏神を奥位社境内に集め連合氏神として祀り地狂言や弓の催しなどを楽しんだ模様、現在も金的中の額が社殿に飾ってあります。
明治42年同地区に位置する諏訪社を迎え入れ、雨覆等を建直し合社奉斎として現在に至っており、4月に春季祭典、10月に例祭、11月に勤労感謝祭、12月は大祓祭、1月に元旦祭を執り行い、区民全員参加型のお祭りを執り行っています。