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白山比咩神社 (岐阜県)
鎮座地 | 岐阜県恵那市山岡町下手向1065 |
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御祭神 | 伊弉諾命、伊弉冉命、菊理媛命 |
例祭日 | 御幸祭 10月第2日曜日 還幸祭・例大祭 翌日 |
宮 司 | 春日井祥示 |
由 緒
奈良朝時代、聖武天皇の神亀元年(724)、郷主の荒木田太夫信足は郷民と相議し、加賀国の白山大神の御分神を奉迎致しました。御分神は、美濃国恵那郡遠山之荘の荒木郷雲路山に遷座、「総鎮守白山宮」と称しています。
戦乱の世の天正2年(1574)武田四郎勝頼の軍勢は原村へ乱入、村内に伏兵(敵方)有りと思い放火、此れにより神域及び別当二百山応領寺など悉く焼失しました。
天正3年(1575)権殿(仮拝殿)を建て祭祀、百余年後の貞享元年(1684)、白山比咩神社の再建を行いました。石垣・石段は享保元年(1716)に造築し、其の後の濃尾地震で被災、此れを修理しました。更に一の鳥居(猿瓜村水上鳥峯)二鳥居(原村の中田)・三鳥居・表鳥居を建立し、毎年、八朔の祭りには馬を献上し、原村の大馬場・小馬場にて「馬祭り」を行いました。
明治維新(1868)となり境外地は没収されましたが、明治39年(1904)金壱萬参千拾八円弐拾銭を国より支給されました。
荒木郷と称恵那郡七郷の内、二つの神社へ「秋の初穂」が手向村より起こりましたが、数次の山論争議に依り上下に分かれ、上手向と下手向となり現在に至ります。