白山社めぐり(119)「白山神社(千葉県)」をご紹介いたします。

白山信仰と白山比咩神社

白山神社(千葉県)

境内出土の鰐口(径24.5センチ)
鎮座地千葉県富津市長崎517
御祭神菊理比賣命
例祭日11月3日
氏子数60戸
宮 司椙山林繼

由 緒

千葉県富津市長崎517番地鎮座の白山神社は、古く天羽郡(あまは)と言われた湊川の作る東西に長い平野部の中央にあって、南から伸びる細尾根の突端にある。この尾根の東、上流部が峯上郷、西が峯下郷と呼ばれた。中近世、北に位置する佐貫城方面から、南へ向かう房総街道は、この長崎で湊川を渡り、少し東へ行き、峯上城の南を、志駒川に沿って、南に山越えし、上総国から安房国へ這入った。この渡河地点で、峯上、峯下の境となる当社は、交通、軍事上の要衝の地であった。
地形から見ると、古代からの神社地と思われるが、創建の年代はわからない。伝承では、天文5年武田時信の再興と伝えていたが、境内から発見された鰐口に銘文があった。何故土中していたか、今では明らかでないが、明治の初め、佐貫藩から郷社とされたことがあり、(後に村社)神仏分離の際に埋められた可能性が高い。また十一面観音の小像(胄仏か)もあった。境内地は、山林も含め約二千坪で、寛文10年検地の折、高外の除地とされた。神田は村内の除地で四畝歩ほどあったが、戦後の農地解放で失われた。氏子は大字長崎地区60戸ほどで、主祭神菊理比賣命、11月3日が例祭日である。
写真の鰐口は、かなり長い刻銘があり、天文11年(1542)6月、白山権現に沙弥全芳が大旦那となって寄進したこと、木更津市矢那の大野筑前守(五郎左衛門)が鋳造したことがわかる。
この全芳は、峯上城の諏訪神社へも鰐口を寄進しており、真理谷武田氏の信秋と考えられる人物で、峯上城主でもあり、房州里見氏と、小田原北条氏との間にあって、鎌倉との連絡も密で、『快元僧都記』に、鶴岡八幡宮の用材を送り出していることが見える。