
養老元年(717)、越前(福井県)の僧「泰澄」が初めて白山に登拝し、翌年山頂に奥宮を祀りました。
奥宮は白山比咩大神(菊理媛尊)を祀り、強風や雪にさらされる秘境にありながら、白山信仰の象徴として幾度も造り替えられました。現在の一間社流造り、檜造りの社殿は、昭和63年(1988)に建立されたものです。

泰澄は、天武天皇11年(682)に、越前(現在の福井県)麻生津(あそうず)に生まれました。幼いころより神童の誉れ高く、14歳のとき、夢で十一面観音のお告げを受け、故郷の越知山(おちざん)にこもって修行にあけくれるようになりました。
霊亀2年(716)、泰澄は夢で、虚空から現われた女神に、「白山に来たれ」と呼びかけられます。お告げを信じた泰澄は、それまで誰も成し遂げられなかった白山登拝を決意し、弟子とともに白山を目指して旅立ちました。
そして幾多の困難の末、ついに山頂に到達。養老元年(717)、泰澄36歳のときでした。
以来、神々しい神の山は人々の憧れとなり、白山信仰は急速に全国に広まっていきました。

白山登拝が盛んになると、加賀(石川県)、越前(福井県)、美濃(岐阜県)には、その拠点となる馬場(ばんば)が設けられ、多くの人々で賑いました。
加賀馬場(石川県)の中心が現在の白山比咩神社、越前馬場(福井県)は現在の平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)、美濃馬場(岐阜県)が現在の長滝白山神社で、山伏のみならず白山の水の恵みを受けて生活する農民から霊峰に憧れる都人まで、多くの人が馬場から白山を目指しました。

平泉寺白山神社

長滝白山神社

明治時代を迎えると、神社と寺院を区別させる神仏分離令が発令され、仏像や仏具が白山の頂より下ろされることとなりました。それらの仏像は「白山下山仏」として現在も白山の山麓の林西寺の白山本地堂や尾添白山社などに安置されています。
明治10年(1877)に、白山比咩神社を本宮、山頂の神祠が奥宮と定められ、御鎮座二千百年を越える信仰の地として親しまれています。

林西寺に残る白山下山物
十一面観世音菩薩立像
(国指定重要文化財)