白山比咩神社のコラム「神道講話422号」を掲載しています。

神道講話

神道講話422号「自然のめぐり」

生きとし生けるものの命の親神様「霊峰白山」(小松市から望む)


◆ はじめに

今冬は大雪になるという予報が出されました。太平洋上にラニーニャ現象が表れた由であります。
当社と致しましては、昭和38年・56年のように1月中旬からの大雪であれば、初詣の行事に支障が無いので、良いのでありますが、昭和52年のお正月のように前年の12月25日の降雪から毎日7、80センチの大雪に見まわれ、初詣どころではなく駐車場整理のアルバイト学生も総動員で御本殿以下御社殿・休憩所・手水舎・社務所から職員職舎・車庫の雪おろしに終日追われ、あまつさえ、氏子各家庭より1名手助けの下、「氏子総人夫」を実施しました。その様な状況では氏子の各家庭でも雪降ろし作業が重なり、人夫も軽々に出せる状況ではなく、神社の要請に対しても男手でなく老人や子供・ご婦人の手助けまで戴いた次第であります。
現在では道路を始め駐車場や境内は除雪機がフル稼働して、交通には支障もなくまして最近の暖冬で屋根の雪降ろし作業はほとんどしなくなりました。

◆ 自然循環

数年前になりますが、かなりの積雪があった日に、スコップで除雪をしましたら、スコップを差し入れた雪の割れ目が真っ青に、しかも光輝いて見えました。天気は晴天で日差しも良い日でしたので、雪の白さと割れ目の青さが、ひときわ目立ち、思わず感動の声をあげたものでした。
後日その話を自然保護の方にしましたら、雪中の水分が多いと雪は青く見えるとの事で、また同じ話を航空自衛隊第六航空団のパイロットにしましたら、偵察で日本海上空を飛行したら、その時の日本海は温泉の様に湯気が、モヤモヤとまるで沸き立っているように見えたそうです。
そして、その湯気が上空で冷やされ偏西風に乗って日本列島に降雪をもたらすのであります。その後、雪は自然のダムとして山々に蓄えられ伏流水あるいは河川となって大地を潤し、また日本海や太平洋に注がれる、正に水の循環なのであります。

大雪の境内(平成30年)

◆ 食物連鎖

地中の無機物(例えば炭素)は太陽光とともに光合成によってタンパク質などの有機物と、運動に必要な化学エネルギーに換えられ、それが草食動物、肉食動物、その死骸排泄物へと受け渡され、腐敗菌による分解を経て無機物に戻されます。
それを植物が再び光合成によって有機物にします。
こうして等質量の物質が、このメカニズムに乗って生態系の中を循環し続けることで、生命は永遠に保たれます。
この物質循環の仕組みを成しているのが、動植物による食物連鎖であります。
数年前に、沖縄へ旅行に行った折、機会があって石垣島から由布島に観光に行きました。水牛の牛車に乗せられて、海の中を渡るのですが、突然水牛が海の真ん中で動かなくなりました。どうした事かと思ったらその水牛はおもむろに大便を海中に落としました。同伴の観光客は驚いて「きたない!」と声を発しました。そしたら水牛を操っていた女性が「食物連鎖や!」と、正に牛の糞は海中の魚や貝のエサとなりその魚や貝が大きく育って各々の食卓を賑わせているのであります。

◆ むすび

加賀市片山津温泉柴山潟の畔に、中谷宇吉郎氏の雪の博物館がありますが、雪の結晶は全て六角形であります。乳製品の雪印も六角形の雪の結晶のマークで、全て水を表します。
当社の神紋である亀甲も三つ重ねの六角形です。
したがって、白山の神様は正にお水の神様であり、生きとし生ける命の親神様なのであります。
水は動物・植物全ての命を育み、例えば奥州平泉中尊寺金色堂の藤原家の櫃(ひつぎ)の中にあったおよそ八百年前の蓮(はす)の種に水を与えたら八百年目にして、発芽し美しい花を咲かせたのであります。(ちなみに中尊寺は平泉白山神社の境内にあたります)
つまり、種と水は切っても切れないものであり、生物多様性や人類、そして動植物の共存にはなくてはならないものなのであります。
環境倫理学の鶫(つぐみ)謙一氏も「沈黙の朝」の著書の中で、「生きとし生けるものに神が宿る。日本人の自然観は、地球と共生する根本思想である」と述べておられます。
私たちはこの豊かな水を守り、美しく使い、決して汚す事無く大切に活用いたしましょう。

水と亀甲(六角形)