
神道講話416号「生命をつなぐ」
◆ はじめに
この世の生きとし生けるもの全てが動物であれ、植物であれ、太陽(お日さま)と水と空気によって生かされて生きているのであります。
日本人は春・夏・秋・冬の季節のめぐりを「いのり」と「感謝」の中で暮らして来ました。
歳が改まって新春を迎えた訳ですが、一年の始まりは冬至ではないかと考えます。
冬至は地球の北半球では昼が最も短くなる時をさします。
つまり次の日から日差しが少しずつ長くなるので、春に向かって夜明けなのであります。
天岩戸の神話も同じ意味であります。一日(いちにち)の始まりは、それらの流れから、日没が一日の始まりと考えて来ました。
一日の始まりは夜中の零時、あるいは夜明けのお陽の出と考えるのは、太陽暦の考えだからだそうです。
古来の日本人は稲作でわかるように、冬には生命の力を蓄え、五穀豊穣を祈る「祈年祭」(春まつり)を行ない、夏の充分な日射しを浴び、豊かな秋の稔を「感謝」として「新嘗祭」を行なうのであります。
◆ 直会
その感謝の気持ちを神々に捧げ、その後、直会をして、人々が「神人共食」という型でお下がりを食し、共に喜びを頒かち合う「神人和楽」があるのであります。
能登地方の秋季例祭に参列させて頂いた折に、神輿の前に神饌として生(なま)の物をお供えしますが、その下に重箱で白飯、赤飯、煮染昆布巻、煮豆等々(いわゆる熟饌)を供え、祭典が終了したあと、清酒・濁酒を土器で頂戴します。
次にその場で重箱を廻し、神職・献幣使・総代・参列者が手の掌に少しずつ熟饌を摂り、いただきます。
これが本当の「直会」の型だと感じました。
そして会場を改め、「宴」が催されますが、宴も終わりの頃、今度は持って来た重箱に、ご飯や赤飯、料理など余った、ご馳走を詰めて持ち帰り、家で待っている子供や孫達に与えて、神様の恵みに家族そろってふたたび感謝するのであります。
能登地方では「あえのこと」という神まつりの行事が残っており、田の神様を迎え、又、送るおまつりが日本無形文化遺産に指定されておりますが、このような伝統・風習は後世に受けつないで行かなけれならないと思います。
現代は飽食の時代と言われますが、天神地祇の神様から同じように生命をもらって生きている、動植物の生命を私たち人間は自分の生命をつなぐ為に、その生命(いのち)を戴いて生きていることを忘れてはならないと思います。
◆ 食べ物を大切に
だからこそ食べ物を大切にする、食べられる物を粗末にしない、食べ物が「もったいない」と云うことです。
昨今食品ロス削減が叫ばれ、フードバンクの推進が注目されつつあります。
廃棄される食品を小売店から子ども食堂運営団体に直接渡す計画もあります。
主な取り組みとして事業系生ゴミリサイクルシステムの構築や、外食時の食べ残しの持ち帰りなど、私たちが心がければ出来る事が沢山あると思います。
環境省は、飲食店で食べ残した料理を持ち帰る取り組みを「モッテコ」と名付け、普及に乗り出しました。
「モッテコ」とは「もっとエコ」「持って行こう」の意味で、欧米では「ドギーバック」という容器で持ち帰るのが定着して来ているそうです。
農林水産省によると、日本の食品ロスの量は2017年度(平成29年)家庭などから出るものも含めても612万トンと推計され、国民1人当たり年間48キロが廃棄されています。
石川県では小盛りメニューの導入や、来店者への食べ残しを減らす呼び掛け・持ち帰り希望者への対応などに取り組み、富山県では毎月15日と30日に冷蔵庫をチェックし、食物を使い切る運動を展開しています。
航空会社のANAホールディングスは、食品をつくる時に捨てられる動物の肉の脂身や油などを利用し、二酸化炭素(CO2)を出す量が少ないジェット燃料を採取し、日本から飛ぶANAのジェット機で使っているそうです。
◆ むすび
戦後まもなく食料不足になった時「お米一粒」でも粗末にしたら叱られたものでした。
沢庵の切れ端を食べさせられたり、魚の骨を二度焼きして食べましたが、今では食べ物が豊富にある環境で生活している日本人は、脈々と受け継がれてきた食に関する伝統や「まつり」に込められた先人の思いをいま一度重く受け止め、いまの生活や食事が出来ることへの感謝を深め、更には、世界中で食事に恵まれない人々や子供たちにも目を向けて、共々に力を合わせ、寄り添いながら「まつり」を通して受け継がれて来た日本の精神、生命(いのち)のつながりを考え、日々を豊かに生活したいものです。