白山比咩神社のコラム「神道講話393号」を掲載しています。

神道講話

神道講話393号「姿勢を正す」

はじめに

3月は年度納めで卒業式や終業式、4月は年度始めで入学式や入社式・始業式と節目節目での数多くの式典・送別会や歓迎会などの会合が催されます。その時に正しい立ちふるまいや美しい姿勢が求められます。礼儀作法は面倒に感じてしまうものですが、上司や年上の人、ましてや神様・仏様に対する礼儀作法は、ある程度は知っておいた方が良いのではないでしょうか。
立ち居振舞いや言葉使いは結構面倒ですが、しかし、作法はひとつの基準に過ぎず、大事なことは時・場所・状況に応じた自然の振る舞いで対処することが求められます。すなわち作法とは、誰もが目にしたり、耳にした際に不快を覚えさせないためのひとつの「基準」と考えた方が良いのです。
「臨機応変」という言葉がありますが、これは場にのぞみ変化に従って適当な手段をとることであります。
そして、臨機応変に振る舞えるということは、基本をしっかりと修得していなければ出来ないのであります。
宴席では「無礼講」という言葉も使われますが、無礼とは礼儀にはずれることであり、失礼ということです。そして、無礼講とは、上下の別をたてず礼儀ぬきでする宴会のことであり、礼儀を修得した人が、無礼講を使えるのであり、礼儀も何も知らない人は、無礼講にはならないので、むしろ非礼なのであります。
茶道の祖であります千利休も「稽古とは一より習い十を知り、十より還る本の其の一」と弟子に指導しています。何事も最初の一歩が大切であり基礎を疎かにしないように心掛け普段から訓練することが肝心なのであります。

白山市立朝日小学校 入学式

胡床

一つ例にあげると椅子の座り方も、神社で使っている折り畳みの椅子は、「胡床(こしょう)」とか「床几(しょうぎ)」とか「相引(あいびき)」と言い、この胡床には「背凭(せもたれ)」がありません。
「凭れる」「凭れ掛る」とは、寄り掛る・他人にたよる・独立せず他に依存するという意味で、人に凭れる・親に凭れる・柱に凭れる、あるいは食物が胃に凭れる等と使います。
背凭に深々と凭れ、足を投げ出してすわっている様は、正に横柄(おうへい)でいばっていて相手を見下すような態度はあまり褒められたものではありません。背凭にもたれていると、講演やスピーチ・講義など、人の話を聞いていてもすぐ眠くなります。

胡床

胡床の座り方

胡床や椅子に座る時は、少し浅く座り猫背にならないように背筋をのばし、相手に集中すると、眠気も起きてきません。
男性の場合は、膝(ひざ)を拳(こぶし)一つ分あけ、もしくは肩幅に両足をそろえ、つま先と踵(かかと)の線が左右平行になるようにして座ります(平行でないと、膝が開き、見た目も良くないのです)両手は、腿(もも)にそろえて置きます。
女性の場合は、膝を付け、足は揃えて正面又は左か右に傾けて座ります。
傾ける方向は下位の方(中心より外側)が良いようです。座る際には、左手で胡床の端を少しさわって確認するほうが安全です。

むすび

神道の作法は、座礼と立礼があります。
座礼とは、床に座る作法で、立ったまま動作をすることを立礼と言いますが、椅子を使うのは立礼の時に仮に座る道具と考えますので、本来胡床に座ったまま拝礼をしたりはしません。あくまでも仮の席と考えた方が良いと思います。 しかし、祭典の性格上、立ったり座ったりの回数が多いと場の雰囲気を壊してしまいますので、この場合こそ臨機応変に対処すべきでしょう。
日本人は、自然の中に神様が居り、私達の回りにはご先祖様が見守って下さっているということを前提にして先祖祀り、神祭りを行ってきました。 その祭典は、どうすれば神様の意に叶っているのか。今、生きている私達は、人々が快適に過ごすにはどうすれば良いかということを自問自答しながら時を過ごしています。
祭祀は「察しあい」と申し、神様から頂いたお恵みを日常生活の中で有り難く受け止め、最低限の礼儀を以て、日々豊かに暮らしたいものです。

例大祭 修祓の儀