白山比咩神社のコラム「神道講話378号」を掲載しています。

神道講話

神道講話378号「自然暦とまつり」

※旧暦は漢数字、新暦は算用数字を用いました。

はじめに

つい先日まで夏まつりの花火の音や盆踊りの調べが聞こえていたが、ふと気づくと季節は既に秋で、里々の鎮守様からは、秋まつりの笛や太鼓の音が聞こえて来ます。
宵宮まつりの帰り道、今まで何気なく歩いていた道も節電の為か街灯も消され、歩道がよく見えない。しばらく目をならして、それからゆっくりと一歩、又一歩と歩を進める。ほどなく月明かりがここちよくなり、風が樹々の香りを運んでくる。
考えてみると、私共白山のお山で仕事をする者たちは施設が自家発電であるので、室堂や南竜山荘は午後八時以降は消灯になるので星空がとても良く観察できるのだが、何かにつけて電機が多用されている現代において、先の東日本大震災により原子力発電所の稼働が止まり、節電がなされなければ「月明かり」や「星明かり」を意識することがなかったかも知れない。
暮れなづむ薄明をおしむ間もなく点灯する便利な文明が私たちの視覚や情感をそこねている。言い換えれば自然光に疎くなっているのではないだろうか。

白山奥宮での星空

旧暦とは

今、私たちが使っている暦は明治5年に改暦された「太陽暦」で、これを「新暦」と呼ぶので、これ以前の「太陰太陽暦」を「陰暦」と呼んだり、「旧暦」と呼んだりしますが、現在でも立派に「自然暦」として私たちの生活に役立っています。
ちなみに現在世界で広く使われている「暦」は「太陽暦」と「太陰暦」と「太陰太陽暦」です。
さて、時候を「旧暦」に近づけるために旧暦の日付の1ヶ月遅れとした行事が数多くあります。例えば修二会(お水取り)や賀茂祭(葵祭)、大阪天神祭、仙台の七夕祭、そして盂蘭盆会などがあります。越中おわらの「風の盆」行事は、本来「八朔まつり」ですので旧暦八月一日のまつりで、「朔日」は「新月」であり、「月立ち」が「ついたち」の語源といわれ、闇夜のまつりであり行事であります。(今年の旧暦八月一日は新暦の8月25日です)そして、旧暦八月三十日は新暦では9月23日の秋分の日となります。
ちなみにひと月の終り「晦日」をみそかとか、つごもり「月籠り」といい、旧暦では月がない闇夜になるのです。
12月31日を「大晦日」(おおみそか)とか「大月籠り」(おおつごもり)といいます。

富山県八尾町の「おわら風の盆」(提供:富山県観光連盟)

年中行事

近ごろ「旧暦」での年中行事が廃れ、技術の発達により日本人にとっての食物、とりわけキュウリやトマトなどの野菜や、イチゴ、ミカン、スイカなどの果物は1年中手に入るので、季節を知ることができなくなってしまいましたが、それでも旧暦を尊重せざるを得ない行事があります。
それは「中秋の名月」です。「中秋の名月」は旧暦八月十五日の夜の満月で、「十五夜」といいます。旧暦で秋は7月・8月・9月ですが、その「中の秋」ですから「中秋」、満月は毎月旧暦十五日ですので、旧暦八月十五日の月を「中秋の満月」「中秋の名月」といって古くからお祭りや行事が行われてきました。
十五夜の前日は「待宵月(まつよいづき)」、十五夜の翌日は「十六夜(いざよい)」、十七日は「立待月(たちまちづき)」、十八日は「居待月(いまちづき)」、十九日は「寝待月(ねまちづき)」、二十日は「更待月(ふけまちづき)」といいます。
菊の節句である「重陽(ちょうよう)」は陽数(奇数)の極みである9が重なる旧暦9月9日で、新暦では10月2日になります。

白山山頂に浮かぶ「眉月」(撮影:中村繁夫氏)

むすび

その昔、日食や月食は不吉なものとされて来ました。ひとときながら、日の神様・月の神様をかくす訳ですから鳥や獣たちは恐れおののいたのです。
現代では科学や知識の向上により天体観測として楽しんでいます。今年の10月8日は旧暦九月十五日ですので、皆既月食が見られます。ちなみに日食は旧暦一日にしか起こりませんし、月食は旧暦十五日にしか起こりません。今回の食の始めは18時14分、皆既の始めは19時24分、皆既の終りは20時24分。食の終りは21時34分です。
「秋の夜長」ともいいますが、夜が長い分、節電をして、自然の神様の恵みに感謝し、ご先祖を敬い、今生きている自分を見つめなおし、おちついた、ゆったりとした時の流れの中で、心静かに秋の夜長をお過ごしください。

皆既食月(提供:国立天文台)