白山比咩神社のコラム「神道講話372号」を掲載しています。

神道講話

神道講話372号「旬を食す」

はじめに

旬祭とは、毎月1日、11日、21日の3回、10日毎に行われる祭(上旬・中旬・下旬)をいいますが、ここでは食べ物の旬について考えてみたいと思います。
一般に旬とは、魚介・鳥・野菜・果実などの食物が最も味の良い出盛りの時、物がよく熟した時節、また最も味が良い季節のことを言います。

新暦と旧暦

日本では従来、太陰太陽暦(旧暦)を使っておりましたが、明治5年に改暦され、今では太陽暦(新暦)が使用されています。
しかしながら、立春や立秋、朔月や満月などの旧暦は、生活暦あるいは自然暦として活用されています。 暦の上では、太陽暦(新暦)の9月を迎えた訳ですが、太陰暦(旧暦)では、9月1日は7月26日で210日です。
朔日は、新月ですので闇夜、旧暦8月1日を八朔といい、八朔祭りとか、越中おはら風の盆などのお祭りが行われます。
旧暦の8月は、仲秋(ちなみに7月は孟秋・9月は季秋)で、8月の満月は十五夜ですから、旧暦の8月15日を仲秋の名月といい、ススキを飾り団子、里芋、栗などを供えてお祭りをします。
本年は、9月19日(新暦)が仲秋の名月となります。

明治5年発行の太陽暦(国立国会図書館蔵) 仲秋の名月(平成24年撮影)

季節の味

私達が子供の頃は、冷蔵庫もなく、夏は沢水あるいは井戸水で冷やしたキュウリやトマトを丸かじりするのが常でした。
春は山菜や野菜の新芽を摘み、夏はスイカやマクワウリ、トウモロコシ、ナス、枝豆等々、秋は大根、人参、里芋に木の実、栗や柿、リンゴ、ナシ、ミカン等、その季節季節を食し、その美味しさを実感したものでした。
そして長い冬に向かって、その食べ物を、魚は塩物、野菜は漬物にしたり、乾燥させて干物にしたり、あるいは土中に埋めて保存し、生きるために貯えることを考え、冬には冬なりの旬があったように思います。
現代は、ハウス栽培などの発達と電気エネルギーによる冷凍技術、そして流通の発達により、いつでも、どこでも画一的な食事を摂ることが出来るようになりましたが、それだけに「旬」というものがわからなくなってきているように思います。

伝統の加賀野菜(写真: 居シ下種苗店)

おいしくいただく

旬の物は、季節だけではなく、その土地や風土により育まれてきた動植物のことを言うと思います。
旅をするとその地方、その所々にあった美味しい物に舌鼓を打ちますが、板橋興宗さん(曹洞宗御誕生寺住職)は「おいしいものを(求める)ではなく、(その時と所のものを)おいしく戴く」と申されておりましたが、正にその通りだと思います。

生きる糧

近年「地産地消」がさけばれておりますが、なかには自分で作って自分で頂く「自産自消」という方もおります。
本来食糧とは、自給自足が原則であるはずが、今の日本は自給率が50パーセントを割っている状況で、輸入が上まわっている訳ですが、輸出元の国は、食糧が余っているから輸出するのであって、自国が食糧難になったら、相手国には輸出など出来なくなる訳で、こと食糧に限って言えば、自給率を向上されるのが急務だと思われます。

世界の食料自給率の推移

おわりに

海辺の棚田に映る半月に釣果を予言するのは、上弦・下弦の月の頃は潮が小さく、魚のバイオリズムも不活発で喰いの悪いことを見通しています。
山里では、雪に押しつぶされていた熊笹をそっと持ち上げているフキノトウ。 萌黄(もえぎ)色の山々に咲く白いコブシの花。それらはその年の四季の移ろいや旬の食べ物の時季を人間に教えてくれる自然からの合図です。
人造エネルギーよりも自然エネルギーによる、生の物を鮮度の良いうちに食べる。いわば、太陽と水と風気の恵みを存分に受けた「旬」を頂戴し、元気に朗らかに心豊かに暮らしたいものです。