白山比咩神社のコラム「神道講話369号」を掲載しています。

神道講話

神道講話369号「礼と酒」

はじめに

笹百合で飾った缶(ほとぎ)大神神社の摂社率川神社

神様にお供えする神饌は、概ね米・酒・餅・魚・鳥・海菜・野菜・果物(菓子)・塩・水の順に捧げます。
これは一般的な神社での祭典におけるお供えでありますが、特別な祭典には特殊な神饌として各地方各お社によって違いがあります。
ここで注目したいのは、お酒がお米の次にきていることです。
古くからの熟饌(調理したもの)をお供えする時には、例えば奈良県大神神社の摂社率川神社の三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)では、熟饌のあとに御神酒が供えられます。

無礼講と慇懃講(いんぎんこう)

3月は年度末、4月からの新年度にあたり、送別会や歓迎会が行われる春の酒宴の時季を迎えます。
本来祝い事など日本の宴会は、最初に盃のやり取りをする酒の儀式から始まります。 次に座を替えて食事をし、終わると座を片付けて酒肴を出して酒宴となります。 食事中にもお酒は出ますが、あくまで軽く、本格的な酒宴は今風に言えば、2次会であり、ここで始めて無礼講となるのであります。
今では会の始めに挨拶があり、次に乾盃、そして宴会が行われます。 一般的には特にあらたまった席でない限り無礼講あるいは随意講として、上下の差別をたてず礼儀作法にこだわらない酒宴となります。
例えば、下座の人が上座の人にいきなりお酌をしたり、あるいは下座の者が自分の盃を持参し、目上の人にお酌をしてもらったりで、盃のやり取りとお酌の別をわきまえない酒宴が多くなり、いわゆる「お流れ頂戴」などとは程遠い宴席となります。
無礼講に相対する言葉に慇懃(いんぎん)講がありますが、これは礼儀を重んじる丁寧な集会をいいます。

懐石料理とお酒

では懐石はどうでしょうか。
懐石とはその昔、修行中の僧侶が温めた石を懐に抱き、一時の空腹をしのいだことからきている言葉だとされています。 そして懐石とは、本来正式なお茶会で出される料理のことで、代表的なコースは、まず最初にご飯とみそ汁、これに軽い1品のお菜がつき、食べるうちに汁のお代わり、ご飯のお代わりが出ます。 そして煮物がお椀に盛って出され、次に焼き物・以上で3品、あとは香の物とお湯が出て、食事は締めくくられ、その後口直しにデザートが出され、全てが終わります。
懐石は宴会料理の「会席」とは違い、始めからご飯とみそ汁が出ます。お酒も食事の重要な要素だけれど酒を飲むための料理ではないということであります。
茶の湯の懐石と料亭の懐石料理の大きな違いは、お茶が主で料理が従である茶の湯に対して、料亭の懐石料理は料理が主人公となり、したがって料理と酒を重視しますので、始めからご飯とみそ汁を出すことはありません。
 

大盃「寿」

茶事の懐石は、始まりから終わりまでをおよそ3つに分けられます。
第1は、
亭主が折敷を運び出してから勝手で相伴するまで。
第2は、
料理がすべて出て、お預け徳利を預け、客同士が酒を酌み交わし、ご馳走を食べるまで。
第3は、
八寸の料理を肴に客と亭主がとり行なう盃事で、客と亭主の間で行なう盃の献酬(盃をやりとりすること)であります。この時、亭主は正客の盃を拝借し、次客以下連客と順番に献酬していきます。拝借した正客の盃が、連客と亭主の間を千鳥がけにするので、これを一般に「千鳥の盃」と呼んでいます。
大名系の茶道では、客からの返盃は受けませんが、他は亭主と客の間を盃が行きつ戻りつして盃の応酬となります。
つまり盃があっちへ行ったりこっちへ来たり、フラフラするので「千鳥の盃」というのです。

銚子と三ツ重盃

中世の食事と酒

中世では食事と酒は別で、食事中に酒を飲むことはなく、食事が終わってから延々と酒を飲んだようです。
そして近世になると食事中の酒として「中酒」ということが始まりました。
それでも前半の食事を主とする時は酒を遠慮されました。
江戸時代の書物には焼き物が済んでから酒と肴が出されていますし、幕末にはこの形式が定まったようです。
明治以降では始めから酒を出します。そのかわり最初の一献は朱盃で儀式的な出し方をし、次に陶磁器の盃と徳利でくだけた酒となり最後に酒宴となるのであります。

おわりに

私たちは、生活をしていく中でいろいろな作法があり規律、規則があり儀礼や礼儀があります。
その本筋をわきまえての無礼講であるならば、それは許される範囲だと思います。
お酒は神様の神霊を慰めるためと、神と人とが和むために直会(なおらい)でお祭りの反省をし、祭典に関わった人々が共々に楽しく、和むために与えられた妙薬であります。
年度の変わり目です。神慮を畏み、楽しく朗らかに「神人和楽」でお過ごしください。