白山比咩神社のコラム「神道講話368号」を掲載しています。

神道講話

神道講話368号「礼(禮)と白山さん」

はじめに

礼(禮)とは、神をまつる際にふみ行うべき儀礼。ひいては人の守るべき秩序の意を表し、また形をよくととのえた作法・儀式、あるいは社会の秩序を保つため、経験によって作られた慣習をいいます。
そして、丁寧に応待する日常生活の坐作進退の規範。礼儀であったり、敬礼など敬意を表す動作やおじぎ。謝辞など感謝の気持ちを述べることば。敬意または謝礼の意を表す贈り物などであります。

南総里見八犬伝について

里見八犬士之内/犬村大角(提供:館山市立博物館)

江戸時代後期の読本で曲亭馬琴(きょくていばきん)(本姓は滝沢)の南総里見八犬伝があります。
八犬士とは、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字を刻んだ水晶玉を身につけ、牡丹の花の形に似たあざを持って生まれた8人の男性で、数奇な運命をたどりながら同じ境遇の義兄弟の存在を知り、不思議な玉に導かれながら困難を乗り越えるというものです。

白山権現の玉

この中の「礼」(禮)の水晶玉を持って産まれたのが、角太郎(かくたろう)こと犬村大角礼まさのり儀であり、後に大学頭となるのであります。 そのくだりには、「角太郎の実母は名を正香(まさか)と言い、その心根は賢く、神仏を信ずることが一般の女性よりすぐれておりました。
そして、角太郎を出産した頃、加賀の国の白山権現(しらやまごんげん)の社頭の粒石(こいし)を頂戴して、子供の守護袋に納(い)れておけば、疱瘡(ほうそう)も麻疹(はしか)も究めて軽いと人々が言っているのを聞いて、北陸へゆく商人(あきんど)に頼んで、この小石(こいし)を取りよせたが、その人の持ってきたものは、石では無く、それは玉(ぎょく)でありました。

白山の玉

その玉は、えり首にかける珠数(すず)ぐらいの大きさで、禮の字が鮮やかに顕れました。持ってきた人も知らなかったようで、驚くばかりでしたが、母は殊(こと)さら崇敬して、そのまま角太郎の守護袋に納(い)れたのであった……。」
この物語は、正義の八犬士らが、それぞれの苦難を乗り越え、超人的な働きで悪い奴らを打ち破っていきます。

そして最終的には、力を合わせて理想の国家を築くというストーリーであります。

白山比咩神社(白山権現)表参道

おわりに

かくして角太郎の後の名前の中に使われている「礼儀」とは、敬礼・謹慎を表す作法で、「礼」はその大なるもので「儀」は小なるものをいい、社会のきまりにあった、交際上の動作や作法またそれを行うこと(日本国語大辞典)とあります。
江戸時代には白山信仰が広く知られ、特に疱瘡の神、あるいは白にかけて歯の神として崇敬されていました。また、礼の文字から礼儀、礼節を重んじる神として崇められたことがわかります。
いよいよ白山の大神様の御神徳が「礼」という文字に顕れているように、弥更なるご神意のもと国の隆昌・ご皇室のご安泰・世界の共存共栄をお祈り致します。