白山比咩神社のコラム「神道講話364号」を掲載しています。

神道講話

神道講話364号「独立国日本…あれから60年」

感謝状拝受

市ヶ谷記念館・復元後の大講堂

昨年11月に航空自衛隊幕僚長より感謝状を頂戴致しました。これは、長年に亘り白山奥宮境内地を第六航空団小松救難隊に訓練地として提供していることが評価されたものであります。
感謝状贈呈式は東京都市ヶ谷にある防衛省で執行され、式が終了してから防衛省内を見学させて戴きました。
特に印象深かったのは、昭和45年に三島由紀夫氏が自決された部屋や極東軍事裁判が行われた講堂がそのまま保存されていたことでありました。そこには戦後67年の歴史が刻まれているのであります。

※右写真は防衛省のホームページから引用

自衛隊50周年

このようなご縁があって、3月17日には小松基地開庁50周年記念式典が催され、ご招待をいただきましたので、喜んで参列させて戴きました。当日は悪天候で、基地内の見学や飛行訓練を見ることは出来ませんでしたが、隊員の皆様方のキビキビとした態度を目の当たりにし、PKOによるイラク派遣や東日本大震災における救助・復興支援に力を尽くされた自衛官の方々に敬意を表した次第であります。
そして各代表のご挨拶の中で、「戦後67年、対日講話条約が発効して60年の今年を記念し、防衛庁も防衛省に昇格したのだから自衛隊もそろそろ自衛軍としたら良いのでは」との発言もありました。正に、その通りであります。

独立記念日

君が代

日本は終戦後占領軍(アメリカ等の連合国から見れば進駐軍)によりしばらく支配されていたが、昭和26年9月8日に旧連合国(55カ国)の内、アメリカなど48カ国と戦争終結と国交回復の為、対日平和条約に調印し、翌27年4月28日に発効しました。
この時の条約の特徴は、日本の個別的・集団的自衛権を承認し、日本の再軍備と外国軍隊の駐留継続を許容し、日米安全保障条約が結ばれたのであります。
あれから60年、指折り数えて本年は、日本が日本国として独立してから60年の慶節を迎えたのであります。
当時の背景は、中国やソ連によるアジアの共産化の防波堤の役目を担っていましたが、その後の日本は、共産主義・社会主義の嵐が吹き荒れ、日教組と呼ぶ教職員達が「反日本・反皇室」を旗印として、日本の国旗「日の丸」を揚げない、国歌「君が代」を歌わない教員が多くを数え、大切な入学式や卒業式には起立もしないありさまとなりました。
そして、いつの間にか日本の家庭から「日の丸の旗」は消え去ってしまいました。
バングラデシュの国旗 その中にあって、オリンピックや国際競技で国旗の「日の丸」が掲げられ、国歌「君が代」が流れた時、日本の名だたる選手等が国旗に注目し、君が代を斉唱している姿はなんて美しい姿でしょうか。
太陽を象徴とする「日の丸」は外国人から見れば、大変美しい国旗であり、バングラデシュは、緑地に赤の「日の丸」を国旗とした親日国であります。

おわりに

戦後60年を迎えた時に、倉本聰さんの「歸國(きこく)」という映画が制作され、ビートたけし氏が主演し、その中で、現代の風潮に対して60年前に戦争で命を失くした靖國・護国の英霊たちが「こんな日本にする為に俺たちは國に命を捧げたのか」というセリフに息がつまりました。
『貧幸』とは、物資は貧しくとも心は豊かで人を思いやり、人と人とが互いに人を作り、仲良く幸せに暮らすことが一番大切だということではないでしょうか。
昨年訪日されたブータン国王ご夫妻をお迎えした私たち日本人は「幸せの国」と心を揺さぶられました。
還暦を迎えた独立国日本は、いま一度平和条約発効60年というこの節目の機会に独立国であるという自覚を基に「日の丸」を掲揚し、誇りをもって「君が代」を歌う習慣をつける様に一人ひとりが努力せねばならないと思いますし、愛国心・郷土愛・家族の絆を考える好機としたいものです。