白山比咩神社のコラム「神道講話356号」を掲載しています。

神道講話

神道講話356号「感謝の心」

はじめに

私達は折にふれて神社やお寺にお参りしたり、神棚やご先祖様に手を合わせます。
その祈りには、家内安全・交通安全などの願いがあったり、自然の恵みや社会、そして自分をとりまく人々への感謝の気持ちが込められています。
私たち人間は一人では生きていけないのであります。その一番基本となるのが家族ではないでしょうか。
人と人とのつながりや人と物とのつながりを絆と考え、家族間の信頼を強固にすることが大切です。
つながりの自覚が無いと「自分は自分」「関係ない」という無関係からやがて、家族の崩壊や自分をとり巻く社会の崩壊につながります。

貧 幸

今から60余年前の日本は終戦後の復興で、国民は食料不足であったり、病に苦しめられておりましたが、貧しい中にも家族愛や地域共同体の中で、心は清く明るく暮らしていたように思います。
その当時のことを「貧幸」と表す人もおります。そして日本人としての誇りは、向こう三軒両隣りの連帯責任と「恥を知れ」という戒めの下、お互いに助け合って生きて来たことです。
その努力は経済成長をなし、現代社会では物質面はとても豊かになりましたが、その反面、核家族や一人っ子といったように家族崩壊が進み、心が貧しく自己中心的なものの考えにより、毎日の様に悲惨な事件が報じられている事は悲しい極みであります。

昭和24年の七五三詣

祈 り

幸せの祈り

昨年11月石川県神社庁石川支部主催による参宮(伊勢神宮への参拝)旅行に参加しましたが、その折、バスガイドさんがすばらしい「幸せの祈り」を教えてくださいましたので紹介します。
このガイドさんは、お爺ちゃん、お婆ちゃんに育てられたので日々の生活が、朝起床して、神棚・仏壇に手を合わせ家族に「おはようございます」の挨拶から、食前の「いただきます」食後の「ごちそうさま」出掛けるときの「いってきます」帰ったら「ただいま」、夜寝る時にも神様・ご先祖様に今日一日の感謝を込めてお参りし、家族に「おやすみなさい」の声を掛けるのは当然として教え込まれたそうです。

できている

私達は「挨拶」「約束」「笑顔」は大切な事だと『わかっている』が、それが自分自身『できている』でしょうか。
挨拶は「こだま」だと思います。大きな声で腰を屈めて頭を下げて挨拶すれば相手だって大きな声で腰を屈めて挨拶して来ます。挨拶は「言霊(ことだま)」でもありますが、相手から同じ様に返って来るということは「こだま」の響きだと思います。
また約束は守る事であって破ることではありません。約束を守れないのであれば、始めから約束をしなければ良いのです。兄弟や家族でも、学校や企業でも政治も経済も約束を守らないということは、お互いの信頼を損なうことであります。
どうしても約束が守れなくなった時には、素直に謝ることが大切だと思います。
そして笑顔は、周囲の人々を和ませ、心と心の対話が出来る事だと思います。

おわりに

日々神様に向って笑顔で、心穏やかに、心静かに感謝の真心を捧げ、自らの身を正し、家族・社会さらには世界平和と人々の幸福を願いつつ、今日一日をせいいっぱい生きながら平穏無事な一年であってほしいものです。

昭和22年の初詣