加賀馬場の中心が現在の白山比咩神社、越前馬場は現在の平泉寺白山神社、美濃馬場が現在の長滝白山神社で、多くの人が馬場から白山を目指しました。

白山信仰と白山比咩神社

三馬場と禅定道

三馬場の図 もともと山は神の聖域として仰ぎ見る存在でしたが、6世紀に大陸から仏教が伝わると、山の霊気に触れ、超人的な力を身に付けようとする修行の場として開拓されていきました。
白山においても、泰澄の開山後、山岳信仰の高まりから修験の霊場として登拝する修行僧が増え、修行登山路=「禅定道」として発展していきます。
『白山記』(白山比咩神社所蔵)によれば、泰澄が白山を開山してからおよそ115年後の天長9年(832)には、加賀、越前、美濃に登拝の拠点となる「馬場」が開かれたと記されています。馬場という呼び方には、白山へ登る際、馬でそこまで行き、馬をつなぎとめておいた場所、あるいは馬がそれ以上進めない神域への入口だからそう呼ばれたという説が残っています。
加賀馬場(石川県)の中心が現在の白山比咩神社、越前馬場(福井県)は現在の平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)、美濃馬場(岐阜県)が現在の長滝白山神社で、山伏のみならず白山の水の恵みを受けて生活する農民から霊峰に憧れる都人まで、多くの人が馬場から白山を目指しました。

平泉寺白山神社(福井県勝山市)

平泉寺白山神社 司馬遼太郎の著書『街道をゆく』に描かれたように、境内一面を覆う苔の見事さで知られます。36歳の泰澄が白山を目指しこの地へ来たとき、木立の中に泉が湧き出ているのを発見し、神託によって神社を建てたのが始まりと伝えられます。最盛期には、僧兵8千人が暮らし、現在も宗教都市の面影を偲ばせる石垣などが残されています。

長滝白山神社(岐阜県郡上市)

白山の南側、岐阜県にある「美濃馬場」の拠点です。農閑期に諸国を旅し、白山信仰を全国に広げる「御師(おし)」と呼ばれる山麓の村人の働きもあって、「上り千人、下り千人」と称されるほど隆盛を極めました。

長滝白山神社